会社沿革

1976年 7月大東市御領にて創業     
ヒートシンク(アルミ押出形材)
のプレス加工に従事
1984年 4月資本金300万円にて、法人化を
行なう
1985年 5月顧客から押出形材の切断加工
への要望の高まりを受け、
切断専用の第二工場を新設
1985年 9月プラザ合意
円高が進み顧客の海外移転が
始まる
1988年 4月多品種少量生産対応のため、
タッピングセンタ【TC-225
を導入する
1991年 3月バブル崩壊(~1993年10月頃)
崩壊初期の業績への影響は
軽微だったが後期には甚大な
被害となった
1991年 4月資本金1,000万円へ増資
1995年 1月阪神淡路大震災(1.17)
資材置き場損壊
その他の損害は軽微
1995年 11月顧客から、6,000mmの形材を
受入れるよう要請があり、
大東市三箇さんが(現本社)へ移転
1996年 1月長尺部材へのNC加工需要の
高まりを受け、St1,390mmの
MC【IMPULSE30】を導入
1999年 12月顧客から三栄製作所のM&Aを
依頼される。
(プレス金型製作対応のため)
2000年 6月後継者として松井宏彰を呼び
戻す。(現社長)
MC・プレス金型製作工場と
して、第二工場を新設
VISI-CAD/CAM】を導入
2000年 7月プレス金型製作の要として、
ワイヤーカット加工機
AQ550L】を導入
平面研削盤【PSG-63EN】も
併せて導入
2000年 12月三栄製作所を正式買収完了
2000年 12月ITバブル崩壊
主要取引産業だったため、
急速に業績悪化(売上高半減)
2001年 1月金型対応のため、重切削可能な
MC【MX-45VAE】を導入
2001年 9月新たな顧客を求め、
自社ウェブサイトを制作
2007年 10月六角堂の開発・設計協力を
要請され、プロジェクト参加
2007年 11月顧客からの増産対応要請に
応じ、MC【TC-22B-O】を
導入
2007年 12月顧客からの重荷重切断への
対応要請に応じ、
10馬力切断加工機】を導入
2008年 9月リーマンショック
旧来顧客からの受注大幅減
2009年 1月設備の老朽化対策として、
80tプレスと45tプレスを
新たに導入
2009年 10月埼玉県に六角堂の試作タイプを
建設。約一年間、暴露試験
2010年 12月自社ウェブサイトを移転
大幅リニューアル
(WordPress 3.X化)
2011年 3月東日本大震災(3.11)
自社には被害はなく、むしろ
太陽光バブルが発生
2014年 4月太陽光バブル崩壊(国内製造)
海外勢流入により国内勢が
大幅縮小及び撤退
業績が急速に悪化(売上高半減)
2016年 1月顧客より、後継者への教育を
依頼され、暫定事業として、
松賢堂しょうけんどう 部門を設立
金属材料学】の講義を実施
2016年 7月依頼を受け、【全地球史】を
講演
2017年 4月経営者教養セミナーとして
東洋思想~古代編】を講義
隔月開催(全6回を2年実施)
2019年 5月令和元年を機に【社長交代
2019年 9月公益資本主義推進協議会の
定例会にて【大阪と公益】を
講演
2019年 10月CAD/CAMシステム
One-CNC】を導入
2020年 1月働き方改革の一環として、
インターバル制度】を導入
それに伴い、【就業規則】を
改変
2020年 3月コロショック
世界恐慌以来の大不況が
訪れる
2020年 4月ウェブサイト改変
WordPress 5.X対応
スマホ・モバイル対応

2022年 1月 3次元測定機を導入

2022年 2月 ロシア・ウクライナ戦争

2022年 7月 あまがさき産業フェア出展